線虫の神経回路

神経回路研究における線虫の意義

私たちが五感を通してモノを認識しているとき、あるいは考え事をしたり過去の出来事を思い出しているときに一体脳の中では何が起こっているのでしょうか?このメカニズムを知るためには、脳を構成している個々の神経細胞の働きを調べるだけでは不十分です。神経回路(neural curcuit)内では、神経細胞がお互いにシナプス(synapse)を介して神経伝達(neural transmission)を行っていますので、複数の神経細胞から形成される「神経回路レベルでの活動」を調べる必要があります。しかし、ヒトの脳には1000億個の神経細胞があり、また比較的単純なハエの脳にさえ10万個の神経細胞が存在しています。したがって、これらの動物の脳全体における神経回路を解析するのは容易なことではありません。
その点、線虫はわずか302個!(雌雄同体の場合)の神経細胞で構成されており、また電子顕微鏡による線虫切片の詳細な解析(White et al., 1986)から、すべての神経細胞のシナプス結合が明らかになっています(図1)。つまり線虫を用いることで、感覚受容やそれに伴う行動を神経回路レベルで解析することができるのです。

神経活動を測定する方法

① 電気生理学的手法

電気生理学的手法では、神経の活動電位や電流を測定することで神経の活性を見ます。線虫の神経細胞は小さく、このような手法は難しいとされてきましたが、近年では様々な神経細胞での測定が可能となってきています。線虫の場合、生きたままの個体 (in vivo)で特定の神経細胞の活性を見ることができる点が特徴です。


② カメレオン (cameleon)を用いたカルシウムイメージング (calcium imaging)

カメレオンとは、CFP (シアン蛍光タンパク質), YFP (イエロー蛍光タンパク質),カルモデュリン、M13 (カルモデュリン結合部位)からなるタンパク質です。まず、遺伝子導入によって、活性を見たい神経細胞にカメレオンタンパク質を発現させます。神経細胞が興奮し、細胞内カルシウムイオン濃度が上昇すると、カルモデュリンはカルシウムイオンを取り込み、M13を引き寄せ、CFPとYFPが立体的に近づきます。このとき、CFPに吸収された光エネルギーはYFPに受け渡され、YFPの蛍光強度が増大します。このYFPの蛍光強度変化を測定することにより、神経細胞の活性を測ることができます。なお、この光エネルギー遷移のことをフレット(FRET, fluorescence resonance energy transfer)と呼び、最近はこの現象を利用した技術が非常によく利用されるようになってきています。(図2)


③ pH-感受性 GFPを用いた神経伝達物質放出の可視化

GFP (Green Fluolorecent Protein)とはクラゲ蛍光タンパク質ですが、pH-感受性 GFPとは、pHによって蛍光強度が変化するようにGFPを一部改変したものです。神経細胞では、神経伝達物質が小胞に包まれてプレシナプス(シナプス前終末, presynapse)まで輸送され、エキソサイトーシス(exocytosis)によって放出されています。シナプス小胞(SV, synaptic vesicle)内のpHは約5.6に保たれていますが、細胞外のシナプスではpH7.6になっています。このpH-感受性GFPをあらかじめ小胞内に発現させておくと、シナプス小胞の放出と同時にpH-感受性 GFPは蛍光強度が増大します。この蛍光強度変化を測定することにより、シナプス小胞の放出頻度を見積もることができます。
(安達健、松木正尋)