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化学走性の行動戦略

お腹がすいた夕暮れ時、どこからともなく漂ってくる香りに惹かれて気づいたらラーメン屋さんの前に立っていた、なんていう経験はありませんか?香りだけでなく、光や温度、磁場など外界の刺激を手掛かりに移動することを「走性」と言います。走性はさまざまな生き物に見られる現象で、たとえば「飛んで火に入る夏の虫」というのは多くの虫が持つ走光性(光に対する走性)を表現したものです。大腸菌のような単細胞の生き物でも走化性(化学物質に対する走性)を示すことが知られています。線虫C.エレガンスも走化性や走温性を示しますが、その方法には実は2通りあります。

一つ目の方法は、環境変化に応じて急角度の方向転換の頻度を変化させるというものです。たとえば線虫は実験室の通常の飼育環境下ではNaCl(食塩)を好みますが、前進中にNaCl濃度が下がると急角度の方向転換の頻度が上昇します。NaClが好きなのにNaCl濃度が下がるというのは好ましくない環境変化ですから、方向転換しなければ高NaCl濃度の環境にはたどり着けません。逆に、前進中にNaCl濃度が上昇すると、好ましい環境変化ですから方向転換頻度は低下し、そのまま進み続ける確率が高くなります。この急角度の方向転換をピルエット行動 (pirouette behavior)と呼び、ピルエット行動の頻度を変化させて目的の環境に近づく行動戦略をピルエット機構 (pirouette mechanism)と呼びます。線虫のピルエット機構は1999年にPierce-Shimomuraらによって発見されました1。同様の機構として、大腸菌の「バイアスド・ランダムウォーク」(解説)が知られています2

二つ目の方法は、線虫が自分の左右のどちらの濃度が高いかを認識してゆるやかに進行方向を変化させて目的の環境に近づいてゆくというもので、風見鶏機構 (weathervane mechanism)といいます。NaClの濃度勾配上での線虫の軌跡を統計的に処理すると、NaClの濃度が高い側に緩やかにカーブしていく傾向 (bias)が浮かび上がります。前進方向の濃度変化が大きいとピルエット機構が働いてしまうため、線虫が実際に風見鶏機構を用いていることを確認することは難しいのですが、2009年に当研究室により風見鶏機構の存在が実証され、同時に風見鶏機構に関与する一部の神経が明らかにされました3

化学走性におけるこれらの行動戦略は、濃度勾配上の線虫の行動をビデオトラッキングシステム (video tracking system)で自動的に認識・追尾し、その軌跡をコンピュータで数値的に解析することで明らかになりました。
<参考:Iino and Yoshida., 2009で用いた装置の説明

動画1 ピルエット行動: 後退したのち、体を大きく曲げて方向を変えます。
      
図1 ピルエット機構と風見鶏機構を用いたNaCl走性行動: 黒線は線虫の軌跡と進行方向、青色はNaCl濃度勾配。


行動そのものだけでなく、行動を制御する戦略が神経回路によりどのように生み出されているかを調べることで、神経回路の動作原理に迫ることができると考えられます。

現在、レーザー光による神経殺傷や光遺伝学的手法などにより神経回路そのものを人為的に操作して行動の変化を定量化する実験4、あるいはカルシウムイメージングで行動中の神経活動を観測する実験などを行っています。


1. Pierce-Shimomura et al., The fundamental role of pirouettes in Caenorhabditis elegans chemotaxis. J Neurosci. 1999 Nov 1;19(21):9557-69.
2. Macbab et al., The Gradient-Sensing Mechanism in Bacterial Chemotaxis. Proc Natl Acad Sci U S A. 1972 Sep;69(9):2509-12.
3. Iino and Yoshida, Parallel Use of Two Behavioral Mechanisms for Chemotaxis in Caenorhabditis elegans. J Neurosci. 2009 Apr 29;29(17):5370-80.
4. Satoh et al, Regulation of Experience-Dependent Bidirectional Chemotaxis by a Neural Circuit Switch in Caenorhabditis elegans. J Neurosci. 2014 Nov 19;34(47):15631-7.

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